千葉(平) 常胤
治承4年(1180年)、源頼朝が打倒平氏の兵を上げ、石橋山の戦いにおいて敗れ、房総に逃れた際、千葉常胤に加勢を求めるます。常胤は頼朝への加勢を表明し館に向かい入れ、大軍を引き連れて随身しました。
頼朝に対して鎌倉に本拠を構えることを進言するなど、鎌倉幕府の創設に重要な役割を果たしました。
その後、源平合戦・奥州合戦などにも参戦し、この功績で常胤は下総国・上総国の2か国をはじめ、東北地方、九州地方など全国で20数カ所といわれる広大な所領を獲得し、千葉氏は幕府の中でも屈指の御家人に成長しました。
鎌倉幕府創設に尽力し、鎌倉・室町時代に守護の地位を確保し、中世には千葉氏の歴代当主が下総の守護と権介を兼ね、特別な敬意を込めて千葉介(ちばのすけ、「千葉郡を領する(権)介」)と呼称されました。
人物名 | 千葉(平)常胤(ちばつねたね) |
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年代 | 平安時代末期~鎌倉時代初期 |
備考 |