國 府 義 胤
本物の「武士道」
田中正造が師と仰いだ明治のパイオニア
國府義胤とはKOKUBU YOSHITANE
千葉氏の11代 千葉(平)常胤(ちばつねたね)は、源頼朝に「鎌倉幕府の最大の功労・恩賞は千葉にある」と言われ、栃木の地を賜りました。栃木に土着した千葉氏は5代目が國府の地名をとり姓を國府に変えます。
その後、鎌倉・室町時代、江戸時代を経て幕末期に「勤皇の三五郎」と称され活躍したのが、千葉(平)常胤の直系の子孫である國府(平)五郎 義胤(こくふごろうよしたね)です。
義胤は、徳川幕府の老中 久世広周(関宿藩)より幕命を受け、人材登用(発掘)の学問所として栃木の地に「郷学館」を開設しました。関八州から流派を問わず1,500名を超える弟子達が集い、研鑽したと記録に残っております。
新政府に大きく貢献した義胤は、大参事の称号を賜った後も、民衆に使え国事に奔走しました。
略歴HISTORY
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